【齋藤 薫の老けない人。老けない話。】Vol.53〝50代に見える70代〟が現れたのは、一体なぜなのか?

2023.11.14

【齋藤 薫の老けない人。老けない話。】Vol.53〝50代に見える70代〟が現れたのは、一体なぜなのか?

近頃ますますわからなくなってきたのが、人の年齢。

例えば昭和の頃は、今思えば、見た目年齢と実年齢がほぼ一致していた。

あの人は50代半ばくらい?と思うと、実年齢との誤差はせいぜい、2、3歳だったりするように。少なくとも40代なのか50代なのか、はたまた60代なのか、見た目が実際の年代を外すことはほとんどなかったはずだ。

それが平成になると、〝40代に見えるのに50代だったりする人〟が目立ってくる。それも「私いくつに見えます?」と自らの若さと実年齢とのギャップで、人を驚かすことが生きがいのようになっている人までが増えてきた。

じつはそれもボトックスのようなプチ整形がポピュラーになってきたこともあり、年代を超えるほどの若さも可能になったことを物語る。

でも令和に入り、またフェーズが変わった。端的に言えば50代にさえ見えてしまう70代が現れたのだが、もはやそういう人ほど「私、いくつに見えます?」とは言わない。

そこに一生懸命若く見せているという意識がないからだろう。とても自然に気負いなく年齢を重ねても、圧倒的な若々しさを保つ人がにわかに増えてきたということ。

明らかに〝平成の若さ〟とは違う、〝令和の若さ〟が生まれていることに気づかされるのだ。でも一体なぜなのだろう?もちろん美容医療の目覚ましい革新もあれば、化粧品の進化もある。ただそういうこと以上に意識の変化が大きいのではないかと思うのだ。

つまり、年齢に対する一人ひとりの意識が確実に変わってきたことが、見た目にも人を驚くほど若くしているのではないか。

実は最近その研究が具体的に進んでいて、気持ちが若くなれば外見も若くなり、視力も良くなって握力もつくというような、素晴らしい結果が出ることがさまざまに実証されている。

逆にいえば、昭和の時代は30代からもう中年、50代には早くも隠居を考え始め、60代には何となく余生に入るような感覚があったはず。

だからこそ60代になると、年齢という数字に合わせるように、このぐらい老けて見えなければいけないと言うように、わざわざ老けた印象を自ら作る人が多かったのではないか。

それが平成に入って、30代は〝大人の子供〟という認識になってきた。40代だってまだまだ若いという認識に。そしてなおかつ数年前から、人生100年が1つの常識となっていき、60代はまだ人生半ばという位置づけになる。

最初は戸惑いもあったはずだが、今やもうそれぞれの世代にとって100年人生は当然のこと、50代60代からもう一つの人生が始まるような考え方が主流になってきた。

それだけでも昭和の50代60代とは、もう数十年の意識の差が生まれていたはずなのだ。

加えて、髪型もメイクも、そしてファッションも、40代の頃と変わらない選択をし、本当に若い頃と変わらない佇まいを保つ人が一気に増えたこと。

これがびっくりするほど若々しい人々を輩出し始めたのだ。意識の変化がいよいよ、見た目の明快な変化につながってきていると言っていい。

いずれにせよ、心の年齢が見た目の年齢を作る事が今や科学的にも証明されてしまった。

であるならば、もう昔のような50代60代の年齢観などはかなぐり捨てて、自分の好きな服を着て、自分の好きな髪型をすればいい。

50代らしさ、60代らしさなど、もはや全く意味をなさないのだから。

  • 齋藤薫 / saito kaoru

    美容ジャーナリスト。
    女性誌編集者を経て独立。 女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人 日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。新刊『されど“男”は愛おしい』(講談社)他、『“一生美人”力人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。

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