【齋藤薫の美容コラム】Vol.1~Vol.5

2020.09.01

【齋藤薫の美容コラム】Vol.1~Vol.5

Vol.5 ”美しい肌づくり”は、今日会う人への”おもてなし”

「今日はごめんなさい。肌がアレていて・・・」そういうふうに、いきなり謝られたことがある。 一緒にランチをとった友人が、食事が出てくる前にそう言ったのだ。 肌アレしていて困るのは彼女自身。なぜ私に対してごめんなさいなのか? 「だって、あなたはこれから私を見ながらごはんを食べるのに、私がこんな肌じゃ気分が悪いでしょ?」

確かに向い合う相手の肌は、自分にとって景色の一部。とすれば、美しい肌である方が、やっぱり気持ちがいい。それが食事の席ならば尚さら、美しい肌の持ち主とのランチはもっともっと心地よいものになるかもしれない。でもそれを、自分の責任と考えて、美しい肌で出かけてこられなかったことを相手に”謝る”という発想は私にはなかった。だからその時、目が覚めるような想いがしたのだ。そう、美しい肌で出かけていくことは、その日に会う人にとっての”心づかい”なのだって、あらためて教えられたのである。

事実、美しい肌は”景色”によく似てる。目を見張るほどに美しい肌に出くわすと、相手が誰であろうと、アカの他人であろうと、しばらく眺めていたいと思うのだろう。まさしく美しい景色と一緒。ズバ抜けて美しい肌も、ただただ立ち尽くして眺めてしまう引力をもつものなのだ。わざわざ時間をさいて、それを眺めるだけのために遠くへ出かけていく。”絶景”とは、そのくらいの価値をもつもの。女性の美しい肌も同じ価値をもつはずなのだ。

だから私たちが美しい肌をもつことは、人と向き合うための絶対のマナー。人を家に招いて”おもてなし”するような気持ちで、肌をつくるべきなのだ。おもてなしに使う食器をよく磨いておくように肌を磨き、テーブルに花を飾るようにていねいにメイクアップをして、落ち度のない肌で人を迎えることは、女のたしなみのひとつ、そう考えてみたいのだ。

そもそも人は、何のためにキレイになるのか?誰のためにキレイになるのか?考えたことがあるだろうか?もちろんまずは、自分自身のため。肌がキレイな日はそれだけで胸がわくわくして、どこかへ出かけたくなる。これはもう理屈ぬき。美しい肌は女の幸せの絶対の決め手なのである。

でもそこに”他の誰かのため”という新しい目的を加えられたら、その人はもっと早くキレイになれるのだろう。まず、家族のため。いつも多くの時間、向かい合っている子供のため、夫のため。そう思うとキレイが早まる。それをさらに今日会う人のために美しくなれれば・・・そう思うとキレイはさらに確実に手に入るのだろう。それは言わば、”おもてなし”の心をもったことへの、ひとつのご褒美なのかもしれないから。

ランチの時、私にごめんなさいと言った人は、今50代。でもとてもその年齢に見えないほどに若々しい。まったく老けない。 それも自分のためだけじゃなく、人のためにもキレイであろうとしている毎日。


Vol.4 引いて、足す・・・。出して、しまう・・・

すぐ部屋が散らかってしまう人は、みんな”あること”ができていないと言われる。それは”物を出したらすぐしまう”という、とても単純なこと。いくらきちんと片付いている部屋も、次々に必要なものを引っ張り出し、出したまましまわずにいたら、アッという間に散らかってしまうから。

出したらしまう・・・それができている人は、いつもきれいな整った部屋で暮らしているのだ。おそらく心もあまり乱れない。整った穏やかな心で生きているのだろう。

逆にいつも清らかな整った心で生きていきたいと思ったら、いろんなものを心にためずに、悪いものをきちんと追い出してから、良い感情を注ぎ込んでいくというクセをつけるべき。気持ちがいつも安定している人は、ちゃんとその出し入れができている。自分を浄化する方法を知っているのだ。

スキンケアも同じ。衰えを感じ始めると、私たちは”与えること”ばかりに夢中になりがちだけれど、悪いものを取り除いてからでないと、良いものを注ぎ入れた意味がなくなってしまったりするもの。

コップの水がもしにごっていたら、そこにキレイな水を入れても、水は澄んでこない。一度にごった水を捨ててしまわないと。肌のエイジングケアも、マイナスとプラス、引いてから足すことを一緒に行ってこそ、本当の若さが目を覚ますと考えてほしい。

じゃあ”マイナス”とは何?引き算とは何?もちろん日々の汚れを取り除くことも大切だけれど、くすみやゴワつき、毛穴や小ジワが目立つ原因となる古い角質をオフすることも大事な引き算。人によっては、潤いや若さのもとを与えるより、この古い角質を取り除く方が肌が若返るケースもあるほど。引き算のエイジングケアもあることを知っておきたい。引いてから足すことが、もっとも効率のいいエイジングケアだということも。

たとえば、ミューノアージュの2つの新しい美容液も、まさにそうした”引き算と足し算”をそっくり形にした、引いて足すエイジングケアを可能にするコンビとなった。美しい肌はいつも引き算と足し算の組み合わせで、生み出すものと覚えていてほしい。

体の健康ももちろん同じ。マイナスとプラス、両方がうまく噛み合わさってこそ、生まれるもの。おそらく人間の生命の仕組みがそういうふうに”引いて足す”ことでうまく運んでいくようにつくられているのだろう。

クローゼットの中も、新しい服を買い続けているだけだと、オシャレは混乱するばかりで、人をキレイに見せない。着なくなった服を時々思い切って捨てないと、人は輝かないのだ。そして本当に思い切って捨てると、不思議にオシャレがうまく行く。要らないものを捨てることで、生き方をシンプルにする提案は最近とてもよく聞かれるけれど、単に生き方をシンプルにするだけじゃない。オシャレもうまく行って、人がキラキラ美しくなる。だから幸せも舞い込む。引いて足すにはそういう不思議な力があること、知っておきたいのだ。


Vol.3 人は3年に一度歳をとる。その宿命と戦う方法

人はいつどこで歳をとるのか?

知りたくなったことがある。それがわかれば、人はもう少し若さを保つことができる気がしたから。

そこで見つけたのが老化に関するある調査結果。”人は3年に一度歳をとる”というもので、なるほどそんなものかもしれないと思った。2年前の写真を見ても、それほど大きな変化は見えないのに、3年前の写真だとかなり違和感を感じる。どこがどう変わったとは言えないけれど、明らかに印象が違う・・・たぶんそれが”老化”というものなのである。

3年に一度、部屋の模様替えをするという人がいた。実家もずっとそうしていたから、何となく習慣でやってしまうのだと。クッションのカバーを替え、飾り棚の上の置き物を替え、ソファの位置を替える。場合によっては、カーテンも替えてしまう。

ずい分と思い切った模様替えに思えるが、ひょっとしたらその3年は、人が歳をとるサイクルの3年かもしれないと思ったら納得がいった。3年間を密に生きていたら、毎日キレイにしていても、いろんなものがオリのようにたまってきて、ただの大掃除ではすまなくなる。一気に”浄化”させなければすまなくなる。

もちろん、模様替えする時は同時に要らないものを整理することになるから、何だか無性に気持ちいい。まるで命が新しくなったような感覚を覚えるはずだ。さらに日々目にしているソファの位置やクッションの色、置き物が替わるだけでやっぱり新しい日々を生きていくような強烈なリセット感があるもの。日々生きていく部屋は、自分にとっての小宇宙であり、そのまま自分の命のコンデイションに反映してくるのだろう。

部屋と人の肌も、とてもよく似ている。放っておけば余計なものがどんどん増えていくのも一緒。それこそ、毎日きちんと掃除をしていても、時々は根本から浄化してあげないと、空気がよどんだように肌色もよどんでくる。

ディープクレンジングとも違う、ピーリングのようなリセットが肌にはやっぱり必要なのである。

おそらくはそれが、3年に一度老化するという、避けられない宿命と戦う数少ないテクニックのひとつなのだろう。与えるばかりじゃなく、時々はきちんと取り去る。自らが生まれ変わっていく力にかかった足かせを取り除き、力そのものにエンジンをかけるようにリセットするのだ。

ちなみに、肌は夏に歳をとるとか、冬に歳をとるとか言うけれど、おそらくシーズンとは関係なく、やっぱり当たり前の日常の中で積み重なっていく疲労が大きいのだろう。だからその肌の足かせを時々でもきちんと取り除くこと。

3年たっても、少しも老けない。それどころか、むしろ3年前より若返って見える人って確かにいる。おそらくは思い切って肌をリセットしている人。何かを与えていくだけでなく、きちんと整理する。いらないものを捨てる。その大切さを覚えていてほしい。ちなみに3年ごとの模様替えを続けている人も、不思議だけれど本当に若い。肌が透き通っていて、暑苦しい年齢の重みが逆に年々減っていく印象。捨てている効果である。

家に帰った時、何となく息が詰まるように感じたら、それはいらないものがたまってきて、空気がよどんできたサイン。家も肌も大きくリセットしてみたい。使わないものを一切捨て去って。


Vol.2 「諦めない人」は何をどう諦めないのか?

女にとって40代は、ひとつの大きな”分かれ道”であると言われる。老けていく人と老けない人が、ハッキリ二分される分かれ道。でも見た目にはまだあまり差がないはずの却代が、なぜそれほどハッキリ明暗を分けてしまうのか?

そこにあるのはひたすら”諦め”という感情。若さを諦めてしまうか否か、そういう気持ちの向きだけで、人の見た目は大きく左右されてしまうということなのだ。

でも”諦める”って何をしないことなのだろう。そして”諦めない”って、何をどう諦めないことなのか?そこがわからないという人もきっといるはず。もちろん心の中のこと。「私はまだまだ若い」と思えるだけでいいのかもしれなぃ。でも逆に言えば、心の中のことだからこそ、鏡の中にシワを2、3本見つけただけで、くじけそうにもなってしまう。何か”諦めない”上での、もっと確かな支えがほしいと思うのじゃないだろうか。

もちろん諦めたくないから、化粧品をいっぱい買う、毎日せっせとお手入れをする・・・それだけで充分なのだけれど、そういうモチベーションを生む何かの支えがほしいと思うのじゃないか。

40代の半ば頃だったか、かつての同級生にバッタリ会った。学生の頃よりむしろ美しくなっていて驚いた。驚くと同時に少しショックだった。その人とは学生の頃、同じ”男子”を好きになった恋のライバルで、もうとつくの昔に終わった話だけれど、彼女はこんなにキレイなのに、という小さな焦りを今さらのように感じたのだ。自分はこういう仕事をしていながら、どこかで何かを諦めていた。中途半端な知識があるから余計に、加齢という宿命には勝てないのだと自らに言い聞かせていたのかもしれないと。

だからその時、何となくだけれど、お手入れ時聞をいつもの3倍、いやそれ以上だったかもしれないが、ともかく今考えうることをひと通りやってみて、メイクもプロになったつもりで、思い切り時聞をかけてやってみていた。たぶんその時の自分にできることはそれしかなかったから。するとどうだろう。家族にも「一体何をしたの?」と驚かれるほど肌が変わった。人間って、想いを込め、気合いを入れた分だけちゃんと見違えられるものなのだ。

ともかくその日から、スキンケアにかける時聞を倍増させた。そうしたら、明らかに一度失った若さが戻ってきたのだ。紛れもなく若返っていた。そこで確信したのは、人間はまっすぐには歳をとってはいかないということ。一見衰えているように見えても、ちょっと気持ちを込めれば必ず戻る。大きくは歳をとっていくけれど、じつは行ったり来たり、老けたり若返ったり、ジグザグを繰り返していくのだと知った。

つまり、ちょっと空気が抜けたらまた空気入れで入れればいい。それを繰り返すことを、すなわち”諦めない”ということだと知ったのだ。人間は必ず戻るのだと知っていれば、それが諦めないための大きな大きなモチベーションになるのである。

“老けない人”は、きっとみんな知っているのだろう。必ず戻れること。空気が抜けてきても、また空気を入れてパンパンにできること。またその”戻る力”にスイッチを入れるのが、”諦めない心”なのだ。諦めないから戻るし、戻れるから、諦めない。それは、”老けない人”の中で起こっているすばらしいスパイラルなのである。


Vol.1 会うたびに、相手をハッとさせる人

人の印象は、まさしく出会った瞬間にその7割が決まってしまうと言われる。でも初対面の時ばかりじゃない。何度会っても、毎日会っていても、そのたびに人は違う印象を放つもので、それもまた出会った瞬間の数秒で決まるのだと考えていい。

言いかえれば、人は誰かと会うたびに”自分の印象”を塗りかえていく。つねに、更新され続けるのが、人の評価。だから女は、会うたびに相手をハッとさせるような印象を放ち続けないといけないのだ。恋人であれ夫であれ、評価は更新され続けるから、親しき仲でも毎日だって相手を魅了するつもりがないといけないのだ。 ちなみに、会うたびに人をハッとさせると、相手の記憶の中にしだいに根を張っていく。それが、”存在感”に置きかわるのだと言ってもいい。

たとえばだけれど、つねに無限大に増えていく女優やタレントの卵たちから、たったひと握りのスターが生まれていく時も、その分かれ道は、”登場するたびに見る人をハッとさせられるかどうか?”そこにかかっていると思う。そのたびに、人々の記憶の中に存在を積み重ねていける人だけが残っていく世界と言ってもいい。

じゃぁ、そうさせるものの正体とは一体何なのか?もちろん”美しさ”はひとつの絶対条件。でも、美しさだけでは足りない。単なる形の美しさは、見続ければ見慣れてしまう。毎回、まるで驚きのような爽やかな衝撃を与えてくれるものとは、むしろ形のないもの。まさしく人から発される光のようなもの・・・”生命感”と名付けてもいい光なのである。

忙しい女性にも明らかに2つのタイプがあって、忙しいから疲れている人と、忙しいから輝いている人がいるものだけれど、人気クリニックの院長も務めるその人は、超多忙なはずなのに、毎回キラキラした光を纏って現れ、私たちに小さな驚きをもたらすのだ。それこそが、私たち女が備えなければいけない”若さ”なのだと、そのたびに思い知らされる。

ふと思った。形や肌の美しさ若さは、クリニックで受ける施術で存分に得ることができるけれど、体の奥から湧き上がるような”生命感”という光は、やっぱり充実した日々と、アンチエイジングの化粧品による地道なお手入れでつくるものなのかもしれないと。

“美容”という手段でその生命感を叶えたいなら、日々鏡の前でつみ重ねるていねいなスキンケアによって、肌を慈しむこと。すると自然に内側から引き出されるもの。ただ美しいだけじゃない。何度会っても、ハッとさせる人を、今あらためて目指したい。人を魅了するために。相手の記憶の中にキラキラした存在感を残すために。

  • 齋藤薫 / saito kaoru

    美容ジャーナリスト。
    女性誌編集者を経て独立。 女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人 日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。新刊『されど“男”は愛おしい』(講談社)他、『“一生美人”力人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。

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