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Vol.5 “美しい肌づくり”は、今日会う人への”おもてなし”

「今日はごめんなさい。肌がアレていて……」
そういうふうに、いきなり謝られたことがある。一緒にランチをとった友人が、食事が出てくる前にそう言ったのだ。
肌アレしていて困るのは彼女自身。なぜ私に対してごめんなさいなのか?
「だって、あなたはこれから私を見ながらごはんを食べるのに、私がこんな肌じゃ気分が悪いでしょ?」

確かに向い合う相手の肌は、自分にとって景色の一部。とすれば、美しい肌である方が、やっぱり気持ちがいい。それが食事の席ならば尚さら、美しい肌の持ち主とのランチはもっともっと心地よいものになるかもしれない。でもそれを、自分の責任と考えて、美しい肌で出かけてこられなかったことを相手に〝謝る〟という発想は私にはなかった。だからその時、目が覚めるような想いがしたのだ。そう、美しい肌で出かけていくことは、その日に会う人にとっての〝心づかい〟なのだって、あらためて教えられたのである。

事実、美しい肌は〝景色〟によく似てる。目を見張るほどに美しい肌に出くわすと、相手が誰であろうと、アカの他人であろうと、しばらく眺めていたいと思うのだろう。まさしく美しい景色と一緒。ズバ抜けて美しい肌も、ただただ立ち尽くして眺めてしまう引力をもつものなのだ。わざわざ時間をさいて、それを眺めるだけのために遠くへ出かけていく。〝絶景〟とは、そのくらいの価値をもつもの。女性の美しい肌も同じ価値をもつはずなのだ。

だから私たちが美しい肌をもつことは、人と向き合うための絶対のマナー。人を家に招いて〝おもてなし〟するような気持ちで、肌をつくるべきなのだ。おもてなしに使う食器をよく磨いておくように肌を磨き、テーブルに花を飾るようにていねいにメイクアップをして、落ち度のない肌で人を迎えることは、女のたしなみのひとつ、そう考えてみたいのだ。

そもそも人は、何のためにキレイになるのか? 誰のためにキレイになるのか? 考えたことがあるだろうか?もちろんまずは、自分自身のため。肌がキレイな日はそれだけで胸がわくわくして、どこかへ出かけたくなる。これはもう理屈ぬき。美しい肌は女の幸せの絶対の決め手なのである。

でもそこに〝他の誰かのため〟という新しい目的を加えられたら、その人はもっと早くキレイになれるのだろう。まず、家族のため。いつも多くの時間、向かい合っている子供のため、夫のため。そう思うとキレイが早まる。それをさらに今日会う人のために美しくなれれば……そう思うとキレイはさらに確実に手に入るのだろう。それは言わば、“おもてなし”の心をもったことへの、ひとつのご褒美なのかもしれないから。

ランチの時、私にごめんなさいと言った人は、今50代。でもとてもその年齢に見えないほどに若々しい。まったく老けない。
それも自分のためだけじゃなく、人のためにもキレイであろうとしている毎日
齋藤 薫 [美容ジャーナリスト]

女性誌編集者を経て独立。 女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人 日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。新刊『されど“男”は愛おしい』(講談社)他、『“一生美人”力人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。